「趣を得る」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<48>
趣味を味わうには、
必ずしも多くのものはいらない。
小池や小さい石の間にも、山水の風光は十分に
具わっている。
又、自然の景色を心ゆくばかり楽しむには、
必ずしも遠くへ出かける必要はない。
蓬の生い茂った庭や、
小屋や東屋の下にも、自然の景色は
豊かにして尽きない。
自然の風光は、
必ずしも名山大川に求める必要はない。
すぐ自分の家の近くの小川の流れ、
道端の草花、庭先やベランダに
やって来る小鳥の声にも
自然のおもむきはある。
自然の「景」そのものよりも、
それを味わい賞する心を
養うことを忘れてはなりません。
合掌
「心の門」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<47>
心に思うことは全部口からでるので、
言わば口は”心の門”である。
それで口を十分よく守って
余計なことをしゃべらないように注意しないと、
心の奥底にしまってある大切なことを
うっかり人に洩らしてしまう。
”意”は又、心があちこちに
馳せ行く働きをするから言わば”心の足”である。
それで”意”を十分厳重に防がないと、
直ぐさま邪道に入ってしまう。
”口は禍の門”と言う諺もある。
口の軽い者は大切な秘密もしゃべってしまう。
ここの”意”と言うのは、
意志、意欲、思考などのことで在ります。
”口”を守り、”意”を防ぐとは結局、
正しいことを思い、正しいことを言うので、
正しいことを思い正しいことを口にする人は、
又身に正しいことを行う人であります。
合掌
「心を落ち着けて」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<46>
嬉しまぎれに何でもかんでも
軽率に引き受けては成らない。
酒に酔っ払ったために腹を立てては
ならぬ。
気持ちがよいのにまかせて、
あれもこれもと
いろいろの事に手を拡げては
ならぬ。
疲れていやに成ったからとて、
最後をいい加減にしては
ならない。
嬉しい時、酒に酔ったとき、愉快な時、
疲労した時などいずれも精神が
平静ではない。
こうした場合はよく心を落ち着けて
言行に注意すべきである。
合掌
「己を奮い立てる」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<45>
何事も自分の心の思うままに
ならぬ時は、
自分よりももっと不幸な人の事を
思うが良い。
そうしたら天を怨み、
人を咎めるような心は何時しか
消えてしまう。
又、自分の心が怠け荒んでいる時には、
自分よりも勝れた人の事を思うが良い。
そうしたら自然と心が奮い立つだろう。
不幸に在る時はともすれば神を呪い、
運命を嘆き、世の中を罵るものだ。
しかし、不幸な者は自分だけではない、
更に自分よりももっともっと不幸な人が、
世の中には多いことを思って
自ら慰めると共に、
その不幸を切り抜けることを
考えるべきである。
人間は又怠けやすいものだ。
ともすればなげやりな心になる。
そういう時は世の中の偉人は
すべて努力奮闘の人であることを
思うべきである。
合掌
「公私のけじめ」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<44>
高位、官職に在る間は、
手紙一通書くにも規律があって、
一言一句かりそめにしてはならない。
そして、
容易に自分の本心を人に
悟られないようにして、
自分を利用して万一の
仕合わせを求める人に
つけ込まれないようにすることが
大切である。
けれども職が解け、官をやめ、
郷里に引退している時には、
あまり高ぶって偉そうにしては
ならない。
誰にでも自分の気持ちが
分かるようにして、
郷人との昔からの交際を
厚くしなければならない。
同一人でも公私によって
身のもち方を異にする。
決して混同してはならない。
公職を私生活に持ち込んではならない。
会社の封筒や便箋を
個人のことに使うのはよくない。
しかし一旦職を、官を退いて
野に下ったならば、
昔の”役人風”を吹かして
高く構えてはならない。
郷人の一人として心打解けて
交わるべきである。
合掌
「謙徳」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<43>
自分の主義主張を曲げない人は、
気性が激しいから、とかく人と衝突しやすい。
その激しい気性を、
温和な心で救うようにしたなら、
決して人に対して怒り争うようなことはない。
又、功名のある人は、
とかく人から嫉み羨ましがられやすく、
自らその功名を誇りがちであるから、
へり下る徳を以って人に対したならば、
決して人から嫉まれるようなことはない。
とかく一般の人よりすぐれ
世間の話題になるような人は自らも誇り、
人からも嫉まれやすい。
節義は結構であるが、
一方温和の心を失わないように、
又功名も結構であるが
更に”謙徳”をそれに加えたならば、
決して人から非難されることはない。
合掌
「何事も程ほどに・・」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<42>
倹約は立派な”行”である。
しかし、その度を過ぎると、
欲張りになり、
ちんぼうになって、
却って、正しい道を
そこなうことになる。
へり下るのは美しい”行”である。
けれどもそれも程度を越えると、
うやうやし過ぎ、
謹み過ぎて、
多くはわざとらしい
心から出て来るものである。
どんな結構なものでも、その限度がある。
度を過ぎると厭らしくなる。
全く「過ぎたるは及ばざるが如し」
である。
何事も程々にすべきである。
合掌
「脳ある鷹は爪隠す」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<41>
鷹は猛禽であるが、
その木に止まっているのを見ると、ちょうど眠っているようだし、
虎は猛獣であるが、
その歩く様子はちょうど病み疲れているようだ。
しかしそれこそ実に鷹や虎が人をつかみ、
人に喰いつくための手段として、
わざとそんなに見せかけているのである。
故に我々はこの鷹や虎のように、
どんなにさとく賢くても、それを外部に現さず、
立派な才能があっても、
それを思うままに振りまわされないのが良い。
かくて始めて大任を肩に担うだけの
力の働きがあると言うものだ。
弱いものに限って虚勢を張り、
愚かな者に限って偉そうにしたがる。
真に強いもの者、真に賢明な者は
却って弱いが如く、愚かな如く振舞うものだ。
「脳ある鷹は爪を隠す」とも言う。
平素は愚の如くして、いざという時に、
その力量を十分発揮することの出来る人が
真に頼もしい。
合掌
「人物」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<40>
大事業をして成功するような人は、
大抵物事にこだわりがなく心の円満な人物である。
ところが事業に失敗し、よい機会を取り逃がす人は、
きっと執っこくて片意地な人である。
事業に成功するのも失敗するのも、
やはり人物による。
物事にこせこせしないで、
よく融通のきく大まかな人物でなくては、
大事業はできない。
まず、人物を作ることが肝心である。
合掌
「恩と怨」 [日記・雑記]
子供達に伝えたいこと・・!<39>
人間は、人から”恩”を受けた場合は、
それがどんなに深くても
これに恩返ししようとしない。
ところが、人から受けた”怨み”は
どんなに浅くても、その仕返しをする。
又、人の悪事を聞くと、
それがまだ一般に知れず
はっきりしないことでも信じて疑わないが、
善事を聞いた時は、それが明らかに
世間に知れ渡っていても、
容易に信じないでまだ疑っている。
これは実に不人情の甚だしい、
最も薄情な心である。
かかることのないように
大いに戒めなければならない。
人から受けた”恩”は忘れるが、
”怨み”は忘れない。
人の悪事は信じるが、善事は信じない。
それが人間の、人情の弱点である。
合掌